こんにちは。
ゆるっと在宅ワーママのharuです。
今日のお題は、適応障害です。
子供の頃からメンタルは安定せず、ピアノとアニメがお友達のインドア派…。
と思いきや、子供の面倒を見るのが好きで、高校時代はジュニアリーダースクラブで副会長してたり、
火起こししてバーベキューやったり、自然が好きでもある私なのですが。
社会人になってから、会社、、特に正社員の働き方が合わず、たびたび適応障害になっています。
分かっています。
時間ぴったりに出社して、あれこれ命令されたことをこなすことがとても苦痛なのだと。
結婚したときは正社員だった夫も、今や安定しない自営業。
生活費は私に頼るしかない、私も働くしかないと自分に言い聞かせて、
セクハラもパワハラも我慢して、
金のため、家族のためと、一生懸命やってきましたけれども。
一生懸命って、何?
3人目産んで育休から復帰して1年。
正社員を辞める。
夫に、もう私は正社員をやらない、これで最後。
と、宣言したのでした。
適応障害とは
適応障害/MSDマニュアル
体や精神状態に出る症状は、落ち込んだり、ドキドキして睡眠が取れなかったり、逆に起き上がれなかったり、日常生活に支障をきたす面で、うつ病と似ているのですが、適応障害は原因がはっきりしている、らしいです。
私の事例
新卒1社目の会社
新卒でIT企業に就職したのですが、2年目で全く仕事が無いのに会社へ行って机に座っていなければならなかったときにひどく不安で精神状態がおかしくなりました。
そのときは、メンタルクリニックでは、鬱状態、整骨院で頸肩腕症候群(けいけいわんしょうこうぐん)と診断されました。
精神状態がおかしい、ということを認めたくなくて、整骨院で診断書を書いていただき、休職することになりました。
何もせず机の前に座っていて、隣の人と会話も禁じられていたので、8時間苦痛で仕方がなく、肩も背中も、子泣きじじいをしょっているかのような痛みと重みが半年以上続きました。
休職中に、自分が活躍できる仕事がしたいと、音楽の勉強をして音楽教室の先生になりました。
5社目正社員営業職
色々と転職しているんですが。。
生活のためにやりたくもない正社員営業職をしていた頃。
本社が四国、偉い人は関西、九州、広島。
北関東の田舎でのんびり育った私には、まず言葉がきつすぎるし、社長が70過ぎて怒鳴るタイプだったので、
本当にムリでした。
救いは、直属の上司が穏やかで優しかったこと。
でも、その方もガンを発症。
同じ支店のメンバーは次々と失踪、うつ病、パニックetc...
そんなところに5年勤めました。
適応障害と診断されたのは、2人目出産後、育休から戻ってからです。
2人育てながら正社員フルタイム。
その頃は営業ではなく営業事務の内勤をしていたのですが、
とにかく業務量が多すぎて終わらない。
日中は度重なるクレームと、新規開拓のテレアポをこなしながら、受発注業務、業者手配、備品管理、車整備の手配、小口現金の管理…。
内勤の仕事は私一人ですべて行っていました。
平日終わらない分、ノートPCを持ち帰って深夜まで事務作業をしたり、子供2人連れて土曜日に出勤したこともあります。
とにかく業務量が多すぎ、不安を和らげる薬を飲みながら耐え忍んでいました。
目の前に膜が出来て、包まれているような感覚、乖離症状と呼ぶそうなのですが、何カ月もそのような状態でした。
定期的にメンタルクリニックへ通っていました。
退職して、プログラミングを学ぶ職業訓練に入ったら症状は無くなりました。
6社目、7社目正社員エンジニア職
IT企業に勤めることになったのですが、3人目育休から復帰した後のこと。
育休入る前に開発メンバーとして仕事をしていたので、同じような仕事をしたいとお伝えしたのですが、
会社の体制が変わってたりなんだりで、声を荒げた上司が上記のように言ってきまして。
育休復帰2日目の話です。
(というか、当時のメンバー10人くらいいたんだけど、ほぼ全員離職していたというww
私のスキルだけの問題でもない。)
育児ノイローゼも相まって、上司が怖くなってしまって、最低限の家事育児以外何も手につかなくなりました。
家事育児だけは、子供の命が関わるので何とか回していました。
知り合いの先輩に相談し、転職が出来たのも束の間。
半年経った後、その先輩から、
と、言われる始末…。
(というか、私は持ちこたえたけど、同時期に別の人が休職に追い込まれて、この上司パワハラで訴えられてる。たぶん私だけの問題じゃない)
家族を養わなければ。スキルを身につけなければ…。でも、子育てで頼れる人がいない。
保育園に通い始めた子供はすぐに熱を出し、月の半分は保育園に通えない…。
朝5時から仕事をして、日中熱を出してぐずる子供の面倒を見ながらメールチェックをして、
寝静まってからプログラミングの勉強。
やる気と言動が空回り。
3人育児しながら、家事も全部やって生活費を稼ぐって、本当に大変すぎて、何をしているのか分からなくなりました。
夫は寄り添って優しい言葉をかけてくれるというタイプではなく、
生活費も入れてくれず。
「自〇マニュアル」という本を見つけて、レビューを見ていると癒されて。
購入はしませんでしたが、きっと死ぬことはとても苦しいのだろう。
そんなに苦しい思いをして死ぬのなら、今の方がきっとマシなのだろう。
と、何度も何度も自問自答を繰り返しました。
本当に苦しい思いをしました。
カウンセリングに通い、医師にもう無理だと思ったら休職出来るよう、診断書を出していただける、という相談もさせていただき。
何とか、持ちこたえました。
今の生活
今は、9:00~16:00までの時短です。
入社当時は8:00~16:00の時短で入ったのですが、結局朝5:00~22:00まで、入ったり出たりして仕事をしてしまっていたので、完全に9:00~16:00で、それ以外はやりません!!と宣言しました。
(というか、時短で、残業出来ないと契約しているはずなので、本来残業させちゃダメなはずなのですがね。)
宣言はしましたが、お昼休憩取れなかったり、22:00~メンテナンスの作業に立ち上ったり、毎日16:00直前に仕事の指示がくるので、何だかんだ1日の仕事時間6時間30分が平均。
宣言してても、メンバーがしょっちゅう変わる現場なので、私が時短であること、適応障害であることを新しい上司やメンバーは知らないし分からないんです。
いちいち説明するのも面倒くさいのですが、子供3人いて大変なので時短です、すみませんが帰ります。
と、とにかく時間外は反応しない、を1ヶ月くらい繰り返すと回りも慣れてくれます。
一番下の子も2歳になり、ようやく熱を出す頻度が減ってきました。
今はカウンセリングもいったん終了し、自分の心を回復するため、睡眠時間と運動時間を計測することにしました。
2024年5月から計測が始まり、最初は平均9時間くらい睡眠を取っていました。
本当に何もできなくて^^;
2歳児と一緒に眠り、一緒に起きる生活でした。
それから、少しずつ睡眠をとらなくても大丈夫になってきて、8月は平均8時間26分。
9月に入ってまだ4日ですが、子供が寝てから、少し自分のための時間を取ってみようかと、少しずつ、夜起き始めています。
以前は朝活派だったのですが、これから仕事だ、と思うと、とても気が重く起き上がれず、
精神科の方のYouTubeを見て何とか、大丈夫、今日も仕事ができる…。と、
30分くらい布団の中でドキドキしながら何とか気持ちを作る感じです^^;
計測のために導入したスマートウォッチのリンク貼っておきます↓
こんな状態になっても、夫は無視したり意地悪していたわけではなかったようで。
自分がもし亡くなったら、一人でも生活しているように職は持っておいてほしかったとのこと。
いやいや、その前に私が本当に死んでしまうよ。。。
夫さんはねぇ、診断は下りていないけれど、夫はアスペルガーだと思う。
2年半後には夫の事業だけで生活を回すと約束したので、本当に、3番目が年長クラスに上がったら正社員辞めます><!!
子どもたちの教育費を無視すれば、夫の収入だけでも生活できる感じには成長しているのですが、、、
もう少し安定しないとならず。
事業って、1日2日で成長しないですからね。。
とにかく、退職するその日だけを夢見て、今、何とか生きています。
まとめ
退職まであと938日。